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ノベルの書き方を述べる記事

久々にブログを更新します。前の記事の日付をみたらもう一年以上間が空いていますね。

果たしてブログの更新すらできないほどの何かがあったのか、というとそういうことでは全く無く。どちらかと言うと『ブログを更新するほどの事柄が何も無かった』という方が非常に正確でした。非常であり非情です。

とはいえ近頃は老いの影響か熱の維持がすっかり難しくなったこともあって、ブログどころか故ツイッターに投げるような文章すら持ち合わせがなくなってきている感じです。ここで言う熱というのは特定コンテンツに捧げる熱情のことでして、転じて生き甲斐とも言い換えられます。

そんな体たらくなのでもはや割とポジティブな感情としていつ人生終わっても大丈夫になっているのが今日この頃です。痛いのは嫌いなので自ら命を絶つとかは多分無いんですが、少なくともいつか迎える最期の瞬間に未練とか後悔は持ち合わせなくて済みそうだなあなんて思うところでした。

 

というところで表題の件なんですが、自分はもう人生それなりに行き着くところまで行き着いて、果たしたい目的も大体達成したので、そういう立場の人間として人生の局所的な攻略法の伝授みたいなものをこの世の誰かに遺す意味で、あれやこれや気ままに書いてみようかしらという記事の一つになります。必要ない人にはトコトン必要ない話ですが、自分は生きるのが下手側に属する人間なので、主にそういう人向けの遺産のような位置づけですね。ともすれば遺産というと重たく思われそうですが、渡す側の気構えは何とも気軽なものなので気楽に受け取ったり捨てたりしてもらえましたら。

 

さてはて本題となる『小説の書き方』なんですが、一応文章の一次・二次創作したことのある人間として、『自分はどうやって書いているか』の方法論を書いてみます。ここで解説するのは一番入口の部分、『小説形式の作品を書いてみたいけど、どうやって書き始めたらいいの?』です。例えるなら赤ちゃん視点でいう『二足歩行ってどうやるの?』みたいなところですね。

書き方の講座ってそれこそ今時は検索すれば有償無償問わず無数に出てくるものだとは思うんですが、ともすればそれは『話の組み立て方』だったり『描写の仕方』だったりの、歩き方を知っていることが前提のものも含まれてしまうものだったりするので、本当の意味で『書き始めるにはどうすればいいか?』をこの記事では解説していこうと思います。

しかしながらにここまでの文章を読んでもらえばわかる通りに、自分はどちらかというと文章書くのが下手なタイプなので高いレベルに到達できるような解説はできないことだけあらかじめご容赦願うところです。特段文章の仕事してるわけでもない人間の解説なので、あくまで『小説形式の作品作りたい』となった時に、『一歩踏み出せるようになるかも?』くらいの程度に読み捨てていただければ是幸いに存じます。

とはいえども少なくとも自分の使っている方法は『語彙力最低限で良し』『いわゆる文章力というやつも日常生活レベルで良し』なので、ともすれば入口にはちょうどいいかもわかりません。

 

前置きが長くなった分結論から書いてしまうんですが、自分の使っている方法論は至ってシンプルです。

『スタート地点と視点を定めて、あとは実況』と、方法論としてはただこれだけですね。

スタート地点とは物語をどこから書き始めるか、視点とは誰の視点で観測するか、実況とはロールプレイを意味します。

 

具体的な部分を解説していきますとまずスタート地点の話なんですが、まず前提として、何かしら小説形式の作品を書きたいと考える人の大半が『書きたいと思っているストーリーをそもそも有している』であろうことを下敷きにして話を進めていくのですが、じゃあそのストーリーをどこから描写していくか?が決まれば、少なからずその切り口から話を展開していくことが可能です。

というよりも、むしろそこが決まらないことには何一つとして始められないので決める必要がある、と言った方が正確かもしれません。カレー作りたくて材料揃ってるならばどこから調理に取り掛かるかを決めて調理始めないことには素人・達人関係なく一生材料のままです。当然ながら出来栄えには経験や腕前が反映されるところですが、そんなのは当たり前のことなので気にする必要はありません、どうせメインで食べるのは自分自身なので。

さて、じゃあ『どうやってそこを決めるか』なんですが、別にそこも書く人の好みで良いと思います。

例えば走れメロスは、芥川龍之介の作では主人公のメロスが激怒する場面から描写が始まりますが、もしも書く人が異なれば、例えば物語のもう少し手前、メロスがセリヌンティウスの居る街を訪れようとする場面から時系列を追って丁寧に書き始めるかもしれません(走れメロスを舞台脚本とかに直したい場合なんかだと特にそうするでしょう)し、あるいはもっと劇的な場面から始めたい人ならばメロスがひっ捕らえられて王様の眼前にいる場面から書き始めるかもしれません。

とまあそんな調子で、文章でお金を稼ぎたい人ならば入念に吟味すべきところなのでしょうが、少なくとも自分はただ趣味の領域で書いているだけの人間なので、自分の書きたい順番で書く他に選択肢はありません。もちろん手間暇費やして書くからには面白い読み物が出来上がってくれるに越したことはありませんが、ともあれ書きたい場面こそがまずは最優先事項です。カレーは目指しつつもジャガイモの皮剥いたりする工程が楽しいのでそこからやっちゃおう、みたいなそういうノリです。

ちなみに余談ですが、自分が二次創作において小説形式の話書く時によく使う力技として、二人いる登場人物の片方がもう片方の名前を呼ぶ場面から始める、という手があります。

これは『二次創作なので細かくキャラ紹介する必要が大して無いこと』加えて『呼び方がそのキャラ固有であれば誰と誰がその場にいるかをそれだけで明示できること』を踏まえて、諸々の説明描写を一挙に省くという方法です。更に付け加えるならば、セリフから始めることで描写したい場面からスタートしやすい、というのもあります。一番反響のあったモカひまの話は正しくこれらが当てはまりますね。キャラ紹介は特にせず、またひーちゃん呼びはモカ固有で、更には描写したい場面(幼馴染ならではの力技を使うモカ、という新婚のいろはさんのパロディ)を最初に持ってこられた、という。

 

次に視点の話なんですが、これは物語を観測する主体、もっと言うと『言葉を綴る主体は誰か?』というところの話ですね。若干専門用語に片足突っ込むならば一人称か三人称か、という部分です。

一人称視点というのは物語中の登場人物の、特定の誰かの視点から物語が綴られるものを指し、三人称視点というのはナレーションベースで物語が綴られるものを指します。

漫画で言うならば、登場人物の脳内セリフが一人称、設定の開示なんかにおけるナレーションベースが三人称ですね。有名な鬼滅の刃に当てはめるならば炭治郎が脳内で叫ぶ『水の呼吸!』が一人称、技の細かな解説のナレーションベースが三人称、という具合です。

これを決める作業はイコールで『物語を撮影するカメラを誰に持たせるか』を決める工程です。なので一人称で書くとなった時には『じゃあ誰視点で書こう?』というのを決める話にもなるんですが、そこはまあ先述のスタート地点と同じく好みで決めてしまって大丈夫です。

ちなみに余談ですが今回の解説に限らず小説では基本的に視点を定めて書くべし、とされています。これは何故かというと単純な話、小説では漫画みたいに誰が喋って・語っているかを常にはパッと明示できないので、固定した方が書きやすいし読みやすいからですね。特に読みやすさの方には途轍もなく影響するので(極端な話小説じゃなくとも一行ごとに視点が移り変わったりしたら読む方は混乱します)、なるべく簡易に美味しいものを作りたいという場合には可能な限りカメラ役たる語り部は固定するのがおすすめです。

余談ついでにもう一つ、一人称三人称それぞれのメリットデメリットを解説すると、一人称は基本的に主人公の視点から物語が綴られるために書きやすくまた読み手も没入感を得やすい、という辺りがメリットです。特に後者の観点からかライトノベルや児童向け小説には多く採用されています。対してデメリットは、ナレーションベースの解説は使えないので細かな設定を詰め込んで描写するにはあまり向かない、また主人公の理解を越える事柄を描写することが難しい、といった辺りでしょうか。

三人称のメリットは、ナレーションベースで綴るためにそれこそ漫画のように一つの場面における複数人物の思惑や動作を描写できたり設定開示をナレーションで済ませられたりと、視点を登場人物一人に縛られずに描写できるのがメリットです。複数の思惑が交錯する群像劇や、SF物・魔法物なんかの世界観設定の細かい物語を描くのに向きますが、転じてデメリットは『描かなければならない範囲』(描写しないと読み手が例えば「一緒にいるはずのこいつは何してるの?」とかってなるような範囲)が広がってしまう、といった辺りでしょうか。一人称視点ならある種そういう部分も意図的に切り捨てられたりするので。

とまあ一人称と三人称についてうっかり長々と書いてしまいましたが、まあ細かいことは書き始めるにあたってはどうだっていいことなのでこの場では読み捨ててしまって構いません。

あとは一応役立つかもしれない更なる余談として二次創作における三人称のメリットが一つありまして、それは『脳内での口調が分からないキャラも書くことができること』ですね。

例えばデレマスの日野さん鷺沢さんという『喋る時は敬語で尚且つ脳内セリフがほぼ出てこない』類のキャラは、一人称小説で書こうとするとキャラの再現性への疑問で悩まされることになります。敬語よりは砕けた言葉遣いであろうものの、じゃあどこまで砕けているのかの匙加減が全く分からない状態で書かねばならないため、よほどじゃない限り自信を持って書き進められません。が、三人称ならばそもそも書かずに済ませられるのでそんな問題とはおさらばです。というか実際、自分がその二人の話を書く時には常に三人称でした。体験談。

 

閑話休題、最後に実況の部分の解説ですが、これは先述の視点の話において設定したカメラの場所から、物語の時計を進めながら観測した事柄を文章化して述べる作業を指します。

カメラがキャラに付いていればそのキャラクターの一人称視点から場面を実況し、三人称視点であれば第三者視点での実況を行うことで、それがそのまま小説として成り立つという方法論です。

自分の使っている方法において語彙力や文章力が要らないというのはこの辺りに準拠しまして、もし一人称ならばそのキャラクターが持ちうる語彙だけあれば大丈夫ですし、三人称であっても実況に足るだけの語彙や文章力さえあれば事足りる話になります。ついでに小説書く時に悩ましいものとして話題に上がるような地の文差し込むタイミングなんかも、別に実況なんだから必要なタイミング、例えばキャラクターが何かアクションを起こしたところで必要なだけ差し込めばいいだけです。

なので問題となるのはむしろキャラクターの再現性の方で、『書きたいキャラクターの動き方』だけは把握していなければなりません。古のインターネットことわざ『飛影はそんなこと言わない』が如く、うっかり不自然な言動を取らせてしまうとそれだけで物語が全部破綻してしまうために、そこだけはしっかりと造形深くあらねばなりません。

ただしかしながらに、そもそも小説形式の話を書きたいという人であればその辺りはとっくにクリアしているところかもわからないので、ともすればあまり気にするところでもないかもしれません。

 

と、ここまで長々と自分の使っている方法論を解説してきましたが、難しいことをしている訳ではない、というのはきっと分かってもらえたのではないでしょうか。

もし仮にこの方法論を練習するとしたら、三人称視点で声優さんの映像付きラジオ番組を実況形式で文章に書き起こしてみる、とかがおすすめです。あれは一定の構成・台本に基づいているため一から十まで自分で組み立てなばならない競馬実況なんかと違って実況の書き起こしが比較的容易になっているはずなので……

最近だともうすぐ金になるラジオとか特におすすめです、生放送ながらにベテラン作家さんによる何気なくしっかりとした構成の下で仲睦まじく且つキャラ立ちしたパーソナリティ二人が殴り合うような会話を身振り手振りのアクション交じりに繰り広げてくれるので、書き起こしに適しています多分。おそらく諸説ありですが多分。

 

この記事を読んだ人が、ノベルの書き方を身に付けた先に、ゆくゆくノーベル賞を取ってくれたりしたらいいな……というのはただのダジャレなのでそんなことなくても大丈夫です。はい。

仕事をすると寿命が縮みます。

なぜならば。

しごとだけに、

SHI(=タヒ) go to…

 

ダジャレはさて置きましても、仕事をするとストレスで寿命が縮むことは恐らく確かだと思われます。

しかしながらに、仕事をしないと今度は無収入で寿命が縮むとも考えられるため、物事というのは複雑です。

彼方立てれば此方が立たぬ、此方立てれば彼方が立たぬ。世の中ままならないですね。

ままならないのもそうですし、社会というのは往々にして「お前が(他人の思うが)ママになるんだよ」という感じなのがつらく厳しいところです。

 

ところで皆さん、幼年期に「仕事とは何ぞや?」と思ったことってありますでしょうか?

どうしてか大人になったら仕事というのをしなければならないらしい、しかしながらに仕事というものがどうにもよくわからない。

仕事とは何ぞや? と……

 

自分は割と思ってました。

仕事をすると何故かお金が貰えるらしい、けれども毎朝仕事に出掛ける親が具体的に何をしているのかはよく知らない。

年齢を重ねると、『どんなお仕事があるのか調べてみましょう』的な課題が学校で出されたりして、世の中いろんな仕事が存在することは分かるのですが。

しかしながらに『仕事とは何か』の解説は誰もしてくれません。

「やるのが当たり前なんだから、そこに疑問を挟む余地は無いよね?」と言わんばかりです。

例えるなら、目の前に急に恐竜図鑑を広げられて恐竜の種類があることは説明してくれるけど、そもそも恐竜って何なの?という解説を抜かされているような感覚です。あたかも知っていることかのように話は進んでいくんですが、一番知りたいのはそこなんですよね……

 

という訳で今回はそんな『仕事とは何ぞや?』の記事です。

もしかしたら役に立つかもしれないし、基本的には役に立たないそんな内容になります。

 

さて、もし「仕事とは何ぞや?」とその辺の人に聞いた時。

ともすれば「やるとお金が貰えるもの」と返ってくるかもしれませんが、しかしながらに仕事という言葉にはいろんな意味合いがあります。

例えばファストフード店のレジに立って来店客からのオーダーを厨房へ伝えつつ代金を回収した後に出来上がったハンバーガーを渡すのも仕事ですし、はたまた学校の先生からの「申し訳ないけどこのノートを誰々さんに返しておいて」という頼まれ事をこなすのも、広い意味では仕事と言えます。

つまり、仕事という言葉の定義に金銭の発生は含まれません。

 

では尚更に仕事とはいったい何ぞや?となる訳ですが、そこで仕事という漢字に着目してみます。

日本語、特に漢字というのは便利なもので、知らない熟語も漢字の意味が分かれば概ね意味を察することができます。

という訳で早速『仕事』を分解していきましょう。

『仕』は、訓読みすると『仕える』。

言い換えれば特定の誰かの役に立つ、力になる、といったところでしょうか。

『事』は、その通り読んで『こと』。

事柄、はたまた広くは案件といった意味合いなんかでも使いますね。

つまり『仕事』とは、平たく言えば『仕える事』と言えます。文字通りに文字通りですが熟語というのは得てしてそういうものだったりします。

そしてここで考えるべきことは、相手がいてこその『仕える』なので、『誰に』が抜けている点です。

という訳で、ケーススタディとして前述の例え話を持ってきてみます。

ファストフード店で仕える相手とは、雇用主、つまりお店の店長です。

よってファストフード店で仕事をする場合は、『店長に仕える事』、店長の役に立つことになる訳です。

対して学校で先生にお願い事をされたケース。

先生のお手伝いなので、その通り『先生に仕える事』、先生の役に立つ、ですね。

 

さて仕事の辞書的な意味合いが分かったところで、生じる疑問が一つあります。

そもそも、何故に仕事が生まれるのか?という部分です。

例えば店長から、ともすれば不理解から来る仕事関係のお叱りを受けた時『じゃあお前が全部やれよ』とはつい思いがちですが、では何故、店長は自分で全部やらないのでしょうか?

先生が「申し訳ないけど誰々さんにこのノート返しておいて」と言った時、『申し訳ないくらいなら自分で返せばいいのでは』とつい思いがち……かどうかは分かりませんが、何故先生は自分で返しに行かないのでしょうか?

 

これについての答えはごく簡単で、『自分でやるのが不可能・ないしは困難だから誰かにお願いしている』になります。

基本的な大前提の話として、人間一人がこなせるタスクは一度に一つだけです。

身体は一人一つなので、二つのことを同時に出来ないのは自然の摂理と言えます。昨今叫ばれるマルチタスクについても『できる人は切り替えが上手いだけ』という風に否定する説もあるくらいには、人間が一度に取り掛かれることは限定されています。

ファストフード店で言えば、経営・経理と発注と厨房とレジ・オーダー受けは……料理店という側面で考えればワンオペでやっているお店も存在するかとは思われますが、しかしそれぞれ分割して人数で振り分けた方が明らかに圧倒的に楽です。

また、営業時間の存在を加味した時、ファストフード店でそれらを一人で賄おうとするのは自滅という他ありません。正しく寿命が縮むSHI go toになります。

同じく学校の先生にも、多々仕事があります。授業をやらなくてはいけない、授業の準備をしなくてはならない、生徒の人数分の成績管理を進路指導をしなくてはならない行事があればその企画進行安全衛生管理もあり、何なら部活動の顧問とかまでやっているとより一層地獄かと思われます。ノート一冊返すための時間を無くせるならばその方が有り難い話なことは、察するに余りあります。

 

つまり仕事というのは、本質的には『誰かの代わり』です。

それは例えば請負人という分かりやすい形でなくとも、仕事であるならば押しなべてそうです。人類最強である必要もありません。

 

閑話休題西尾維新の話は脇に置きます。

さて、仕事が生まれる要因が判明したならば、次に生まれる疑問は『金銭発生の分かれ道』です。

ファストフード店と先生からのお願い、どちらも同じ『仕事』なのにどうしてお金が貰えたり貰えなかったりするんでしょう?

 

これについても答えは簡単で、『付加価値の有無』になります。

付加価値とは、例えば無価値な真っ白い紙切れにイラストが描かれたことで値段が生まれるないしは上昇する、といった場合の『イラスト』が付加価値に該当します。

より身近な例えだと、人が漫画を買う時でしょうか。

「紙の束が欲しいから」が購買理由であることは基本的になく、中身である『漫画』という付加価値にみんなお金を出します。ともすれば初回版限定特典とかが目当てかも分かりませんが、少なくとも『紙の束』が目当てではありません。

『紙の束』に描かれた『漫画』(ないしは付いている特典)にこそ、購買者にとっての価値が存在しているのです。

このように、何かに価値を付与するもの、上乗せするもの(ないしはしているもの)を、専門用語で付加価値と言います。

転じて、『お金を払ってでも欲しいもの』を付与することとも言えます。

 

ではファストフード店の仕事をこなすことの付加価値とはなんでしょうか。

様々ありますが大きく二つほど考えられ、一つは時間と労働力の融通、一つは誰でも良い訳ではない点です。

ファストフード店フランチャイズを想定します)の店長は、営業時間という守らなければならない制約を乗り切るために、一定以上時間と労働力に都合のつく人材が欲しいと考えます。

従業員が私用があるからと勝手にシフトを放棄したり昨日徹夜してて眠くなっちゃったし疲れたからと途中で帰られたりすると大変に困る訳ですが、そういったことをせずに時間を順守してちゃんと働いてくれることが、店長からすれば価値のある人材となります。

私用にも使えるはずの時間と体力をその仕事のみに融通する、というのが付加価値に相当する訳です。

また誰でも良い訳ではないというのは、仕事のルーティーンをこなせること(基本ながらに重要です)や、不正を行わない(レジからお金抜くとかは最悪です)、その他変なお客からの絡みにめげない(世の中には色んな人がいる)といったような、能力・倫理・忍耐に基づく点が挙げられます。

敢えてひとまとめにするならば『店の維持・利益に貢献する労働力』が最大の付加価値な訳ですが、内訳をざっくり見るならば上記2つが主たるところと思われます。

こういった人材が捕まらない場合、店長には地獄のワンオペ、SHI go toが待ち受けることとなります。店の利益の幾分かを支払ってでも、作戦:いのちをだいじにを選んだ方がきっと得策です。

そして逆に従業員からすれば、給料貰わないとやってられないことばかり(特に変なお客からの絡みがきっと大きいウェイトを占めるでしょう)となるため、もし提供する付加価値に見合わない報酬ならば、離れるかそもそも仕事に就かないか、という結末となりますね。

 

対して、学校の先生からの頼まれ事です。

付加価値が無いと言えば大袈裟でありウソですが、しかしながらに「学校の中で完結する=運搬距離が短い」というマイナス点や、付加価値以外の要素である「先生との関係性(親密であるならばただのお手伝いとして往々に成立しがちであり、またそうでなくとも無報酬だからと断れば成績評価者である先生の心象を損ねる)」の部分だったり、「そもそも報酬を設定すると事案発生になる(先生が明日の朝刊に載る)」「報酬を交渉した段階で恐らく先生が諦めるか他の子に頼もうとする」といった要因が考えられ、少なくとも金銭的な見返りを見込むのが土台難しい話です。

ルールに厳しくない優しい先生なら後でこっそり何かくれたりはあるかもしれませんが、しかしながらに仕事として捉えた場合のノートの受け渡しはそんな感じになります。

 

同じ仕事でも、というところで、この辺りは『仕事』という言葉を英語に置き換えた方がきっと分かりやすいです。

何に置き換えるかと言いますと、みんな知ってる英単語のワーク・タスク・ジョブ・ビジネスです。

どれも同じ『仕事』という言葉ですが、しかしながらに別々の意味を含みます。

そこで、ワークは『働き』に変換するとしまして。

タスクは『処理すべき事柄』。

ジョブは『職業』。

ビジネスは『営利(平たく言えば利益です)目的で執り行う仕事』。

という定義をした場合。

仕事そのものを『タスク=処理すべき事柄』と捉え、またタスクを処理するために動くことを『ワーク=働き』としたならば、このタスク・ワークが金銭的な付加価値を伴った場合、即ち『お金を払ってでもやってもらいたい』と人に思わせられた場合に『ビジネス=営利目的で執り行う仕事』が成り立ち、それを専門的に生業とするのが『ジョブ=職業』と言えます。

仕事という言葉が意味を包括的に持ち過ぎているために、時にはこうやって他言語の力も借りて分解すると非常に分かりやすくなります。

 

だから結局、巷で大人がやらなければならない(とされている)仕事というものを一言で言うならば、『お金を払ってでも誰かにやってもらたいこと』なんですよね。そりゃあストレスも貯まるでしょう。

だって『お金を払ってでも誰かにやってもらいたいこと』なので……

よく漫画家を描いた漫画に出てくる「好きな漫画描きたいなら趣味でやれば?」的な台詞は、概ねこういう辺りに起因します。読者が喜ぶ=お金を払ってくれる漫画が描けないなら、あるいは独りよがりに好きなものを描きたいなら、趣味で描けばいいんじゃない?という。

残酷さを有する反面、仕事が誰かの代わりである、つまり漫画家の場合だと『読者の代わりに面白いものを生み出す』のがこなすべき役割となるだけに、避けることのできない壁でもあります。

少なくとも自分には不可能なお仕事です。

他にも害虫駆除の仕事だったりとか、やけに覚えることの多そうな現代コンビニのレジの仕事だったりとか、自分だったらお金貰ってもできないか貰えるお金が仕事に対して少ないからやりたくないかの2択になりそうです。

日々誰かの仕事に感謝しかないですし、人類全てがそれを理解していたならみんなもっと他人に優しく生きやすい世界になるかもしれないし、やっぱり全然ならないかもしれないですね。

 

そしてまた、そういう意味で今の資本主義社会におけるお金の役割は、『誰かの代わりたる仕事をこなした証』でもあります。

人間一人が出来ることはタスク処理の意味でも、そして適性という個々に大きな制約を有する意味でも限られています。

社会という大きな共同体で『誰かの代わり』を循環させることで社会に発生する諸問題を解決し、そしてお金という証による潤滑油によって文明発展を後押しする。

資本主義社会とは凡そそういうもので、だからこそ仕事をしなければお金が得られず、生活もできず、結果として社会から疎外されていきます。

 

早く疎外されても自由に生きていけるだけのお金、欲しいですね。

もっと言うと仕事したくありません。

 

出来ることなら仮に仕事をするのであっても、日々ワークワクしながら向かえるお仕事に就けるときっといいですよね。ワークだけに。

ダジャレで締められたのでおしまいです。

 

働いたら(ニートに)戻らないと言って

目指したのは、白い白いあの企業…

変な替え歌やってるとその内怒られそうな気がします。

目指したいですね、ホワイト企業

 

という訳でどういう訳で、この記事はリズと青い鳥についての話です。

BS12で放送してたみたいなのであやかりです。

 

ただ「ほにゃららについての話」とは言いながらにも、別に深堀するでも何でもなくただ王様の耳はロバの耳的にネタバレを投げつけるだけの質の悪いシロモノなんですが、より一層質の悪いことに同じく京アニ作品でもある氷菓のネタバレも含むので本当に質が悪くなっています。

そんなこんなで、これからリズ・氷菓を観る予定のある人には大変にネタバレ注意です。

そもそもこのブログ読んでる人がほぼいないはずなのであんまり注意喚起する必要もないのではと思いつつ、念の為置いておくというのは大事です、それは泥棒がいないことが分かっていても鍵をかけることが大事であることと同義のニュアンスにおいて、きっと大事です。

 

 

さてはて、では急にリズと青い鳥の何の話をするかといいますと、あれです。

それです。

そう、ハッピーアイスクリームの話です。

 

自分は触れた作品の消化、理解に時間が掛かるタイプなのであまりすぐさまに読解力が働かないんですが、ハッピーアイスクリームについては特に「作品においてどういう意味合いの言葉なのだろう?」という疑問が、映画館を出てからもずっと頭の中に残っていました。

ハッピーアイスクリーム

劇中での説明によると、自分と誰かとで不意に異口同音が発生した際に「ハッピーアイスクリーム!」と先に宣言することで、「ハッピーアイスクリーム」を言うことができなかった方にアイスを奢らせることができる、というゲームのようなもの。らしいです。

自分が筋肉少女帯の楽曲しか知らなかったのは内緒の話です。ノゾミ、カナエ、タマエ…

話は逸れますがレティクル座妄想は良いアルバムなのでおすすめです、思春期のメンタルに刺さります。

 

 閑話休題、このハッピーアイスクリームというゲームですが、作中で2度出てきます。

一度は物語がある程度進んだタイミングで、恐らくこのハッピーアイスクリームのルール説明を兼ねて。

そしてもう一度は、物語のラストシーンに掛かる場面で。

 

特に一度目があることでラストシーンの2度目の方に強い意味合いがあることを強調できる、いわゆる見せていた布石を回収する形を取っているため、強い意味合いがあるんだということが分かります。

そう、当時の自分は「強い意味合いがあるんだなあ…」となっていました。小学生並みの感想…

「同じ事柄が2回も出てきたので、きっと強い意味合いがあるんだと思いました」ではあまりにも額面通りです。はい、額面通りにしか理解できていませんでした。頭の回転云々で済まされるレベルかどうかはわかりませんが、概ねそんな感じの理解度です。

 

そしてごく最近の話、自分なりに意味合いの答えが急に降りてきまして。

……ひょっとしてダジャレでは? という。

 

もちろんリズと青い鳥という、他者との・自分自身との擦れ違いに対してどういう向き合い方をするかを描いた物語において、最終盤に異口同音が発生する点にも大きな意味合いが存在すると思うんですが、敢えてそれが中盤などではない最終盤に持って来られている辺りに「本当にそれだけなのだろうか?」とも思うところでして。

尚且つ、物語を締める最後の最後のシーン、希美がカメラに顔を背けた状態で、みぞれに何かを言い、みぞれがそれを受けて顔を赤らめまたほころばせる、という無音で繰り広げられるこの一幕。

これがみぞれの言った「ハッピーアイスクリーム!」によって二人でアイスを買いに行く、という流れからのものだとすると、尚更に意味深な感じがあります。

実のところ額面通りにしか理解が追いつかなかった要因がそこだったりもしたんですが、果たして自分の頭に振ってきたダジャレとはどういうことかと申しますと…

 

『ハッピー、愛、スクリーム』

 

ままダジャレです。

ダジャレ以外の何物でもなく、幸せな、あるいは幸せに、もしくは幸せの、『愛を叫ぶ』。

 

作品に消化に時間が掛かるタイプなので最近急に降りてきたのは脳の怠慢の仕業だと思いますが、この答えが弾きだされた要因については分析は非常に容易です。

まず自分がダジャレ好きというのが一つと、同じ京アニ作品の氷菓という作品を既に観ていたことが一つです。

サクッとネタバレしますと、氷菓におけるタイトルの意味は「私は叫ぶ」という意味での「アイ スクリーム」なんですが、氷菓と意味は違えどもダジャレ、『ハッピー愛スクリーム』だとしたら、描かれている物語からして据わり良く嵌る、というのをどうやら脳が急に思いついたらしく(多分京アニ繋がりなことも含めて)。

 

そしてまた、このダジャレの解釈だとラストシーンの希美の言葉を考察する上でも嵌ることに後から気付きました。

というのも、作中に出てくる架空の童話『リズと青い鳥』において、リズが青い鳥を自分の下から飛び立たせようと放つ最後の言葉は『愛してる』であり、尚且つこの作中作になぞらえながら物語は進んでいきます。

つまり、敢えて「ハッピーアイスクリーム」がラストシーンに向かう場面で用いられたのは、即ち無音で隠された希美の言葉が『愛してる』、もしくはそれに準ずる言葉だったのではないか…という解釈です。

であるならば同時に、みぞれの表情にも説明がつくものでして。

『ハッピー愛スクリーム』。

 

とはいえこれが正解というものではなく、もっと言えば明かされる類のものでもないので好きに解釈すべき部分ではあるんですが、ただもし仮に正解だとしたなら……

褒め言葉なんですが、考えた人は相当に人の心が無いですね。ええ。

だって結局最後まで擦れ違いを抱えたまま終わる物語で、そんな『ハッピー愛スクリーム』って……ねえ?

 

と、そんなこんなでネタバレを盛大にアイ・スクリームする王様の耳はロバの耳な記事でした。

関係ないですけど動物のお医者さんという漫画の掛布の耳のネタが好きです。

本当に関係がなかった。

 

更新の停滞が手痛いですね…

『ていたい』だけに……って言いたいだけだったりします。

そして更に『って言いたい』でダジャレを重ねていく、そういう選択もある。

特にはブログをやらないだけで死ぬこともないので気まぐれに更新したりしなかったりします。

 

どちらかと言えば停滞しているのはブログそのものではなく趣味の方であったりするのですが、例えばそれは今まで嵌っていたものに対する熱情の沈み方であったり、新しく嵌ったものに対する情熱の最大値の衰え方であったり。

とはいえどもある種それは年齢と共に進行する自然な変化、既知の増加に対するイコールとしての新鮮さの減衰でもあり、ともすれば老化としては(老化としては)きっと健全ですらあります。

どこか物悲しくもある反面、そろそろ真剣にお金が大事なお年頃にもなるので割りかしポジティブな側面もあったりなかったり。少なくともガチャにつぎ込むことはなくなりました。

まあ、熱情にとどめを刺したのはガチャだったりもするので当然の帰結とも……やはりガチャは悪い文明……

 

そういった趣味に停滞のある中でも、過去から現在に至るまでずっと嵌っているものだったり、新しく嵌るものだったりは細々と存在したりします。

新しく嵌ったものはシミュレーションRPGユグドラ・ユニオンであったりピーチバレーガールしずくであったりリングフィットアドベンチャーであったりと、ガチャを露骨に避けているために(ガチャを露骨に避けているために!)switchなんかで出来る買い切りのゲーム類がほとんどで。

ただしそれらは新しいメディア展開が滅多に為されるものでもなければイラストやSSを生産してくれる人が多々いるジャンルでもない(そもそも自分の趣味嗜好が根本的に大多数受けするものではないので概ね人が集まらない)ため一定程度の気持ちの盛り上がりで落ち着いてしまったりもして、なんというか情熱の最大値の衰え云々はそういう冒険をしない自己選択的な結果の部分もありそうな気がしています。

ガチャは悪い文明なれども今の時代、人と金が集う文明もまたガチャということなのでしょうか、はたまたそれとも単純に世に送り出される作品にことごとくガチャが添えられているということなのでしょうか……何にせよ少なくとも一つ言えるのは、自分の感覚が時代に背中向けて歩き始めていることでした。

だってお金が大事なので……もとい仕事を早く辞めるための手段としてお金が欲しいです、お金があれば人も呪いも無縁でいられる……

 

そんなどんどんと心が暗闇を帯びていっているような今日この頃に、過去から今まで嵌っているものが動きを見せてくれたりもしています。禍福は糾える縄の如しでしょうか。

例えば過去の記事でも取り上げたぷよぷよは、SUN決定版をきっかけに一時期キャラゲーとしても対戦ゲームとしても追いかけていて、個人の創作サイトをくまなく見たり著名なプレイヤーの対戦をずっと見たり、あるいは自分でもちょっと二次創作してみたり連鎖の練習をしてみたりと楽しく嵌っていたジャンルなんですが、最近では『ぷよぷよ最強リーグ』なるトッププレイヤーによるリーグ戦が開催されて、毎週の楽しみだったりします。キャラクターについても時々絵の上手い人やコンパイル時代のイラストレーターさんが絵を上げてくれたりと供給も細々あったりして嬉しいです。

 

そして本当に直近のところで、多感な頃から嵌っていたエドゥ・ファラスキというブラジルのシンガーの方が一枚のアルバムを出してくれました。その名も『ヴェラクルス』。

エドゥ・ファラスキという方について簡単に説明すると、ジャンルはヘヴィメタルで活躍する、しかしながらにメタル界隈では非常に珍しい柔らかい優しい声質の持ち主で、ソングライターとして作る曲もメロウでエモい、そんな人です。語彙力が足りなくてアバウトですが本当にそうなんです。

エドゥ・ファラスキ氏作曲のANGRA-Lease Of Life

 

酷使の影響で一度喉を壊してしまいますが、喉を壊す前はさながら『成人の声量を有したボーイソプラノ』と形容できるかのような本当に柔らかなハイトーンを駆使して、ブラジルでも世界的に有名なバンド・ANGRAのボーカリストとして活躍していました(現在は脱退、自らの結成したバンドにて活動)。

喉を壊して以降はメタル・ジャンルの(特にANGRAの)楽曲に必須な超高音域の歌声が徐々に厳しくなっていきますが、それでもそもそもが歌の上手い、特にピアノ・ピアニッシモの出来る本当に歌の上手い人(大声・ないしはフォルテが出来る人は多くても、ピアノを使いこなせる人は本当に稀有です)のため、上記のLease Of Lifeで聴けるようなエモーショナルな歌声、そしてソングライティングの出来る才能豊かな人で、多感な時期に出会って以降ずっと追いかけていました。

youtu.be↑特に好きな楽曲、氏のバンドAlmahより - Speranza

 

しかしながらに相手はまさしく地球の裏側の人、ブラジルの人聞こえますかーと地面に叫んでも聞こえない距離。

ライブを見に行きたいけれども流石に現地はちょっとあまりにも遠すぎる、ついでに日本の外は治安や水の問題もある。

時たま来日公演をやってくれるけれども悲しいことに多感な時期にはお金がない、ついでに言うなら海外アーティストのチケットは高い。やはりお金は正義……お金がないから大人買いができない、お金がないと大人にもなれない……

そんなほぞを噛むような時期から年月が経ち、一定程度の収入を得られるようになり、なんやかんやあって来日公演を見に行く夢が叶ったりも経験できた訳ですが、ずっと追いかけてるからこそ最近氏の声の調子が一時期(それこそ過去に本人がハイトーン封印宣言を出したことがあったり、時には中音域すらも厳しそうな時期さえ存在した)よりもずっと良くなっていることが分かって、尚且つ去年一昨年にはハイトーンを多用していた頃の楽曲をプレイするツアーもやってくれたりしたので、薄ら薄らとこれはもしかしてもしかしちゃうかもしれない何かがあるかも……とは思っていたんですが。

 

『ヴェラクルス』は、そんな漠然とした想像を遥かに超えてきてくれました。

まず楽曲が良い。

ロディアスでエモい。

分かりやすくそして気持ちよく疾走するトラック2、3、6のThe Ancestry、Sea Of Uncertainties、Crosses。

染み渡るバラードのトラック4、10、12のSky In Your Eyes、Bonfire Of The Vanities、Rainha do Luar。

恐ろしくメロディアスなミッドテンポ・メタルのトラック8、9(この2曲が特に一段と好きです)のFire With Fire、Mirror Of Delusion。

長編のプログレッシブ楽曲で聴き入るトラック7のLand Ahoy。

初代ポケモンのパッケージ裏で有名(?)なバンド・セパルトゥラの人をゲストに迎えた、こんなにやり過ぎちゃっていいの!?と思わず笑みが零れるようなスラッシュ・チューンのFace Of The Storm。

それぞれ一曲一曲がキラー・チューンで一聴の価値どころか即買いの価値ありなんですが、それに加えてさらにアルバム一枚単位での流れが完璧です。

例えばキラーチューンのあるアルバムだと、ともすれば一つの良い曲が逆に浮いてしまう、ないしはその次の曲が良い曲の余韻を殺してしまう(のでその良い曲ばっかりを聞いてしまう)、みたいな現象が存在すると思うんですが。

この『ヴェラクルス』は、本当に余韻が生きたまま次の曲へ、次の曲へと移行していくので、油断すると真面目にアルバム周回し続けてしまうくらいにアルバム単位としての完成度が凄いです。

特にバラードのトラック3と疾走曲のトラック5を繋ぐトラック4、1分弱のインストの差し込み方が非常に絶妙で、このインストがトラック3と5、2曲を1曲に、ないしはトラック1,2,5の疾走曲群とバラードのトラック4までをも1曲として纏め上げているまであります。いや本当に……

 

そして何よりこの『ヴェラクルス』では、失われたと思われていたエドゥ・ファラスキ氏の超高音域がこれでもかとふんだんに使われていることが、今までを追いかけてきたファンとしてすごく嬉しいです。

録り直しの利くCD・レコーディングという状況下でも厳しさの窺えた声(これも個人的には好きでした)から、全盛期を彷彿とさせるかのような歌声への回帰(本人もライナーノーツで「黄金時代が戻ってきた!」と述べています)。

往年のファンにとってはもちろん素晴らしい事柄なのですがそれだけに留まらず、このことは楽曲のキラー・チューン具合にもいい影響を及ぼしていて、激しめの音楽を聴ける人なら一瞬で引き込めるような力のある楽曲ばかりになっています。

そして実際、アマゾンのランキングでも売れ筋ランキングでジャンル1位に昇り詰めるという快挙……

多分ライブで歌うには厳しいことは想像に難くない楽曲達ですが、それでもこの歌声、この出来事には歓びを禁じ得ません。

 

いや、本当にメロディアスでエモい楽曲好きな人みんなに聞いて欲しいそしてあわよくば買ってほしいアルバムです、ヴェラクルス。

 

と、実はこの一行手前の販促のたった一文を書くためだけにブログを書くに至ったりしたんですが、本題に入るまでは愚か結論に至るまでもがやたらとどうして長いので、説明とか文章とか向いてないな……と今更ながらに思ったりしました。どうしてなんでしょうね、どうして……

という訳で記事の落としどころも見失ってきたので、文章の才能が無いのう……というダジャレによって強引に落とすというおっかない力技を使います、そういう選択もある。お金とダジャレが好きなおっかねータイプの人間なので……『おかね』、だけに……

ダジャレを重ねて記事の質を落としていく、そういう選択もある。ダジャレが好きなので。

更新マーチ

つまり更新の行進…

駄洒落はさておきまして。

 


前回の更新から90日が過ぎていたらしいです。ふと見てみたらそんな広告が出ていました。

更新が滞る何かしらがあったのかというと実際私生活もとい勤労上の環境変化はあったんですが、それ以上に体力不足が大きな要因でした。

このところ身体能力の衰えをひしひしと感じます。いつだって華麗な加齢と言いたいところ、加齢が辛ぇですね。

運動不足には違いないので年齢ばかりを理由にしていてもいけないのですが、体力をつけるための体力貯金をそもそも有していないので中々に致命的でした。人生のご利用は計画的に…

 


そんなブログながらに、常時誰も見ていないかと思いきやアクセスログを鑑みるにたまにどなたか見るらしく。

中でも面白かったのはアクセス元サイトグーグル先生からブログ開設時に書いた記事へのアクセス履歴が若干数あることでした。多分表題の土佐日記の所為。

なるほど、これがキーワードで釣る手法…

今後はタイトルに有名な事柄採用するのはやめておこうと思いました。一応のところ日陰の秘密基地なので…

 


何はともあれ、更新が無くとも生き死にに関わる訳ではないので、ブログも人生もおじゃる丸のOPよろしくまったりまったりまったりと急がず焦らず参りたいです。

いやまあ、人生アップデート無いと生き死にには大いに影響しますね。はい。

運動と同じく適度に取り入れた方が人生豊かになりそうです。

 


そんなこんなで、更新も人生も運動ものんびりやっていきたいと思います。

 

 

 

 


運動はのんびりやってる場合ではない…

ひまりといる時のモカについての話

 

以前にTwitterに投げたことのある仮説の中で、「モカはひまりがそばにいる時どこまでも『モカちゃん』でいられて、それは一つの落ち着ける形なのかもしれない」とか書いていたんですが、最近になって地味に裏付けされてきたのでその覚書をしておきたいと思います。

何分覚えている内に書いておかないと本当に忘れるので……

 

という訳でどういう訳で、記事の中で複数のイベスト及びカードエピソード、その他諸々の内容をダイナミックにネタバレしています。

 

twitter.com

 

前述の仮説とやらのモーメントがこれになります。

投稿の日付が2018年の4月です。いつの間にやら2年経っていました、月日が経つのは早いですね。まさかまさかの驚きでまさかり担いだ金太郎になりそうです。

金太郎はどうでもいいのでさておきまして。

前述のモーメントがこれから繰り広げようとしている話の前提条件となってしまうために内容を簡潔に打ち明けますと、モカが表に出す素直さの度合いが相手によって割と異なるのはどうしてかという疑問を、一番顕著な蘭とひまりという二人が相手の場合を例にとって読み解いてみよう、というそういう妄想の話となっています。

 

この妄想の中間をばっさり端折って結論を抜き出しますと、

モカは基本として素直じゃない天邪鬼な性格をしており、

②蘭に対しては不器用で愛くるしい同類として、

③ひまりに対しては天邪鬼として安心して素顔を隠したまま一緒に居られる相手として接しているために、

↪︎そういう態度になっているのではないか、という着地点になっています。

前述のモーメント及びこの記事の中では①の、『天邪鬼な自身の姿を意図的に象った、【いつも通り】のモカ』のことをイコールで『モカちゃん』と記しています。

また、今回話題にしようとしているのは③の内容についてになります。

という訳で、③の内容を先に少し補完した上で、記事冒頭の「最近になって裏付けられてきた」点についてを書いていこうと思います。

 

ではまず早速③の補完、具体的には『安心して素顔を隠したままで』という部分の話です。

『素顔を隠したままで』と言うとともすれば『相手を騙して嘘ついて日々過ごしているのか?』といった具合に悪い意味で受け取られてしまいそうな表現なんですが、これをより正確に直すと『自分が表現していたい姿で/理想としている姿のままでいられる』、モカに当てはめて直せば『いつも【モカちゃんのままで】いられる』、という形になります。

世間一般に『素顔を隠さず過ごすこと』は広く美徳として捉えられがちですが、実際一面として美徳ではありつつも、しかしながらに必ずしも美徳一辺倒でもなかったりします。

どういうことかを端的に表すと、世の中『いつ如何なる時でもすっぴんのままでいられるのが解放的で一番だ』という人もいれば、『わざわざすっぴんを衆目に晒すなんてこと断じてしたくない』という人もいる、という形ですね。

どちらがより広く理想的であるかという話では決してなく、単純に価値基準も考え方も人それぞれなのでどちらの人も存在するし存在していい訳ですが、兎にも角にも『晒したいと思わない部分を晒さなくていい』というのは非常に楽で、救いのあることです。

ここで果たしてモカはどちら側に属するのかを改めて掘り下げてみますと、イベスト「それぞれの道、結ぶ茜空」では満を持して作詞を披露したモカですが、一方で作中の時間軸でとてもざっくり括って一年前(多分)となるリサ姉の歌詞作りイベ「いつか届け、アタシの詩」では、『モカちゃんも作詞は苦手なんで~』と零していて、尚且つ同イベスト内で『Afterglowの曲の歌詞は、蘭の心の叫び』と評しています。

これらの「歌詞は心の叫び」「作詞は苦手」という二つの言葉はジグソーパズルのピースの如く容易に結びつくところで、モカがどちら側に属する人間なのかは、(素直じゃないという時点でそもそもではあるものの)明瞭な事柄と思われます(だからこそそんなモカが作詞を披露したことが果たしてどれだけの意味を持つのか……というのはモカの変化を語る上では重大なポイントになるものの、話の本筋からは脱線するためにここでは割愛します)。

あるいはそういえばの話、モカのフェス限におけるカードエピソード前後編なんかはモカがそういう人間であるとド直球に描いた話だったので、もはやこうやってあれこれ考えることすら野暮なのかもしれません。

そういう人間にとって、常に在りたい自分でいられる/そういった自分に立ち返れる相手の存在が、どれ程大きいものか。想像に難くありません。

この後の内容でも触れていきますが、ひまりと一緒にいる時のモカは、常にマイペースな『モカちゃん』なんですよね……

 

 

と、以上の内容が③の補完でした。

そして以下が、この2年前の仮説について、最近になって出てきた裏付け要素の話になります。本筋に辿り着くまで長かったですね。

という訳でここから複数のイベスト及びカードエピの内容の本格的なネタバレもとい個人的に気になったタンマストップ立ち入り禁止なポイントを実況していきたいと思います。全部書き連ねるとただでさえ既に長い話が本当に長くなるのでケース①~③くらいにまで絞って書いていこうと思います。

 

そんなこんなでまずはケース①、イベスト「Stand by you!」より。

オープニングからして、リサ先輩みたいな先輩になるんだと意気込むひまりに別に目指さなくてもいいんじゃないかと諭しながら、

 

――「ひーちゃんにはひーちゃんの良さがあるんだからさ~」

 

とか儚いセリフを飛ばしているモカなんですが(肝心のひまりには「絶対無理だって思ってるー!」ってただ茶化されたと思われている辺り、本当にモカの日頃の言動……となります)、エンディングにおけるモカのひまりに対する言葉を鑑みると、このオープニングの言葉もより趣が異なってきます。

というわけで、件のエンディングのモカの発言が、次です。つぐの始めた『ひまりがいて良かったと思うこと』の話に続いて、あるいは乗っかって、モカも同様のことを話し始めます。

 

――「確かに、ひーちゃんがいてくれて良かったと思うことはあるよね~」

――「何かあっても、ひーちゃんが大騒ぎするから、逆にあたしは冷静でいられて、ホント助かってます」

 

……この発言、それは褒めているのかとひまりは反応するんですが、純粋な褒め言葉とは違ったとしても、紛れもなく『モカにとってひまりがいてくれて良かったと思う話』なんですよね、きっと。

バンスト1章で蘭に自分の泣いた話を出された時に「あたしの泣いた顔は忘れてほしいなー」なんてことを言ったくらいに、故意に見せるのとは違う、本当に格好悪い姿を晒すことに抵抗のあるモカが、「逆にあたしは冷静でいられて、ホント助かってます」(イコールで「隣にいるとマイペースさを保てる」)と発言することはつまり、逆説的にひまりと一緒にいる時のモカは常に『モカちゃん』だと言っているのと同義なんですよね……

そしてこの時のモカの発言が、他ならぬ本心だと考えられる裏付けの言葉が、なんとアフロバンスト一章で出てきます。裏付けの裏付けです。

アフロバンスト一章第4話、ガルジャムの話で浮足立つメンバー(モカさえも「ソワソワ、ムズムズする」と言っている)に対して、ひまりが意外にも冷静だった時のモカの言葉です。

 

――「ひーちゃんがテンパってないとなんかヘンな感じするなあー。ひーちゃんもムズムズさせてやる~。ほらほら、ムズムズ~」

 

少なくとも一年(あるいはほぼ間違いなくそれ以上)前から、『ひーちゃんがテンパってないとなんかヘンな感じする』なんですよね……

こうやってそんな発言をしてたことなんて誰もが忘れた頃、不意にそれを伏線みたいに回収して感情の本気度を人知れず重ねてくる辺り、本っ当に青葉さんって感じがします。儚い……

 

以上の内容を踏まえた上でここからはケース②、イベスト「それぞれの道、結ぶ茜空」の実況です。

不穏なOPを越え、イベントストーリーとしては始まりである第一話、触れる内容的にはほぼ全てである第一話について拡大解釈を繰り広げていきます。

 

モカが学校終わりの寄り道を提案し、作品作りに専念したいという蘭を除く4人でファミレスに集まり歓談した、その帰り道。

明日以降のパンがないからとやまぶきベーカリーに寄りたいというモカの希望の下、パンを選ぶモカの発言です。

 

――「ん~、食パンもいいし、メロンパンも捨てがたいな~」

――「ひーちゃん、どのパンがいいと思う~?」

 

何気ない場面ながらに、連日の寄り道を提案したりと少しずつ様子のおかしさを見せるモカが、『何かしらに迷っている場面』で声を掛ける相手としてひまりを選んでいることを考えると、どことなく意味深にも捉えられます。

その時何を選ぶのがモカちゃんらしいのか、それすらも見失っているような場面であることが次のひまりの言葉で分かるんですが、それというのが、

 

――「もぉ~、モカ、いつにも増してゆっくり選びすぎだよ~」

 

……この言葉なんですよね。

モカの『いつも通り』を本当に分かっているからこその『いつにも増して』だと思うんですが、そういうところからひまりがずっとモカの『モカちゃん』振りを見せられているであろうことを窺い知れて、そしてまた反証的にモカが『いつも通り』ではない精神状態だとも分かって、尚且つそういう時にひまりにまず声を掛けているとも分かるんですよね……儚い……

 

そして第一話最大の山場である、モカが宿題の締切日を間違えるシーン。

つぐと巴と別れた後の、ひまりとモカの応酬です。

 

――「モカ、宿題の締切勘違いするなんて珍しくない?」

――「そうだっけー?」

――「ちょっとモカ! 何か隠してない?」

 

……つぐも巴も、それぞれにモカの様子がおかしいとは感じているものの、ここで、その場でモカを問い質そうとする程の違和感を覚えているのがひまり、というところがとても儚いです。

また、加えてエモいポイントとして、ひまりって多分そういうことには鈍感な方なんですよね。

それは井ノ島イベで巴の井ノ島に行きたい気持ちを全く察しなかった(つぐは気付いたにも拘らず)ところや、カードエピソード「モカとひまり様」においてモカから直球で「空気読めない」と(悪い意味ではないにしても)言われている辺りからもきっと確かなことなんですが、それでもモカに『何か隠してない?』って詰め寄るんですよね…

恐らくこの場面においては、ひまり・つぐ巴とで、それぞれに覚えた違和感の大きさがきっと異なっていて、勿論つぐと巴の覚えている違和感も絶対に大きいものであるんですけど、ひまりの抱くそれは、恐らくもっとずっと大きいんですよね。悩みを問い質すという思い切った行動の理由/動機に、大事な友達のための行動=Stand by youという伏線はあれども、それ以外の事柄ではそうまで動かなかったひまりだから、恐らくは。

そして同時に、モカが最も『モカちゃん』として振る舞っている相手がひまりであろうことも、ひまりがそれだけの違和感を覚えるというところから窺い知ることができます。

 

また、そうやって問い質し迫るひまりに対して、「やだなあ。モカちゃん、生まれてこのかた隠し事なんてしたことないよ~」なんて、尚も誤魔化して躱そうとするモカの言葉への、ひまりの反応も儚いです。

 

――「またそういう事言うんだから~! 何か悩み事とか? 私、相談に乗るよ?」

 

……『またそういう事言うんだから』なんですよね、ここ。

1年生時の夏休みでの出来事の一幕を描いた星3モカ・学園七不思議カードの左エピ「モカのこわいもの」でもひまりが全く同じことを言う場面があって、如何にモカが毎度毎度そういう発言をしていて、且つひまりが笑って許してくれることにどれだけ甘えているかが窺い知れて、大変に儚いです。

そしてひまりの方はひまりの方で、そうやって簡単に許せてしまう辺りモカのことが凄い好きそうです。この緊迫した場面でもモカの誤魔化し発言をあっさり流して『相談に乗るよ?』って話を進めている辺り、完全に「モカだからいっか」で受け止めて済ませていそうです。ただの諦観だけでそんな境地には普通達しない、もとい諦観由来なら得てして徐々に嫌悪方面に転ぶと思うので、モカに抱く好意による感情の上塗りは間違いなくありそうです。多分。

 

そんなひまりの言葉にも「本当に何もない」と返すモカに、ついに声が大きくなるひまりの発言が、次です。

 

――「何もないわけない~! モカ、なんだか変だよ!」

 

『何もないわけない』と断言できるひまりの発言の内容もさることながらに、この『なんだか変だよ!』のところで、モカが驚きの表情に変わるところも儚いんですよね。

ひまりはモカが『いつも通り』じゃないことを強く感じているし、モカも声の大きさだけでなく他ならぬひまりに『変だよ』と言われたということ含めて驚いていそうで……

 

また発言の直後、貶す意味でなくとも『変だよ』と言ってしまったことについて謝って、様子がおかしい理由がモカががんばってくれているからだったらなおさら悩みを聞きたいと説得するひまりに、モカは「そんなことより今週までの宿題……」と切り出そうとして、遂にひまりも爆発します。

 

――「もぉ~~~!! 私はね! 友達を全力で放っておかないの! だから、モカが話してくれるまで帰らないんだからね~!!」

 

……ひまりのこの発言の時、モカは驚きの表情を見せるんですが、手前の「変だよ」と言われた時と同様に、ただ声の大きさだけに驚いている訳ではないと思うんですよね多分。そういう反応が返ってくると事前に分かっていればモカも目を見開いてまで驚かないと思うので、ひまりがモカの誤魔化し発言に対して爆発したのはきっとこれが初めてのことで、だからこそモカもそういう表情になったのではないかと個人的に考えています。仮説に仮説の上塗りです。

というか、怒り方が怖くなさ過ぎる(「話してくれるまで帰らない」……)からなのか、モカの表情、最後困ったような笑みに変わるんですよね……青葉さん、上原さんのそういうところに安寧さや居心地の良さを感じていそうだし、上原さんは上原さんで青葉さんにとってある種罪深い存在っぽい……

 

 また、ひまりの続く発言も、真っ直ぐすぎて逆に罪深く思えてきます。

 

――「しゅ、宿題は終わってないけど! 私にとっては宿題よりもモカのほうが大事なの~!」

 

この「宿題より大事」というのが、ともすれば軽く思えてしまうかもしれないけれど、学生にとってはずっと成績として残る(場合によっては留年だってするし、そうでなくても推薦入試の幅が狭まったりもすれば、両親の態度だって場合によっては変わるかもしれない)重要なもので、且つモカ達が通うのは進学校、となれば決して軽いとは言えなくて、ひまりのこの言葉は『自分の将来の可能性や揺らぐ評価をかなぐり捨ててでもモカが大事』という風にも言い換えられる、本当に真っ直ぐな言葉なんですよね……

 

そしてひまりは、更にモカを説得しようと「モカだって、Afterglowより大事なものなんてないでしょ?」と続けるんですが、その直後の発言の、

 

――「あ! ……ぱ、パンは置いといて!」

 

これに対する、モカの反応がとても儚いんですよね。

 

――「……ぷっ!」

――「あっははー。ひーちゃん、ありがと。これ、あげる」

 

直前まで顔をしかめていたのに、思わず笑ってしまうんですよね、モカ

モカがどうしてひまりと一緒にいる時に『モカちゃん』なのかが、この場面で示されているような気がします。

 

モカに差し出されたものを見て、「これ……さっき買ったパン?」とひまりが言うと、

 

――「そ。なかでもあたしが一番楽しみにしてたパン~」

 

と、モカが笑顔で言うんですよね。

他でもない無類のパン好きのモカが、一番楽しみにしていたパンを。

 

だからこそひまりも諦めて、「本当に話せるようになったら話してね」と声を掛けます。

それに対してモカは、ありがとうと言った後、

 

――「ひーちゃんみたいなお友達がまわりにいて、あたしは幸せ者だなあ~」

 

なんて言います。

そしてひまりは、

 

――「もう、またごまかして。けど、ちょっとだけいつものモカに戻った気がするからいっか」

 

さりげなく、そして恐らく自覚なく、重大発言を零します。

ひまりは「ちょっとだけいつものモカに戻った気がする」と言ったけれど、ひまりの考える『いつも通りのモカ』は、天邪鬼な『モカちゃん』なんですよね……

だからこそ、「戻った」というのはつまり、そういうことで。

 

あくまで拡大解釈でしかなかった『ひまりと一緒にいる時、モカはどこまでも【モカちゃん】なのではないか』という推察が、ここにきて2年越しに、それもモカ発信ではなくひまりの口から直接裏付けられたのでした。まさかまさかの驚きでまさかり担いだ金太郎になりそうです。

いや金太郎はさて置きまして。

 

ひまりが貰ったパンを明日の朝ごはんにするねと言い残して、「また明日」と別れた後。

モカはモノローグの独白で、ひまりには打ち明けられなかった本心を零します。

 

ひまりにそれを言えなかったのは、きっとやっぱりモカがひまりの前では天邪鬼な『モカちゃん』だからで。

逆に第2話で巴に打ち明けることができたのは、巴も言っていたように、あこに対する巴とモカが似ていたからなんですよね多分。巴は蘭に対するモカの意味で言っていたけど、ひまりに言えなかった理由はきっと同じで。結局モカは巴とかっこつけしい仲間であり、だからこそ。

 

いや青葉さん、そういう感じだからエンディングで上原さんに「モカから見えてるもの、もっと教えてほしい」って言われるのでは……?

イベストStand by you!で登場のモカの星3カード「声をあわせて」の右エピで、モカが新人スタッフ相手にひまりへの褒め言葉を語った後、口止めをした後に「こういうのは、ここぞってときに伝えるのがいいと思うので~」とか言っていて、尚且つカードのスキル名も「あたしのタイミング」なんですが、絶対後悔する類の感情の抱き方だと思うんですよね……

実際問題モカの言う「ここぞ」のタイミングは、相手がひまりであるが故に日常生活/いつも通りの延長線上には決して訪れることはなく、モカが『モカちゃん』を捨てざるを得ない何かが起きてから、ないしはそれを伝えたところで最早意味を為さない事態にまでなってからでないと存在し得ないので、ちゃんと平和な内に伝えてあげて欲しいです。ただ一方で、手遅れになってからの話が見てみたい気持ちも個人的にはあります。もとい、公式では流石に来ないと思ったので2年くらい前に書いてました。人間って複雑な生き物ですね。

ともあれ、2周年直前に書いたモカが置いてかれる話(表題:大人になれない僕らの)も公式でそういう展開は流石に来ないだろうと思って書いたので、世の中100日先は分からないと思っておきます。あれは本当にまさかり担いだ金太郎でした。

 

閑話休題、ケース②の話はここまでです。

 

思った以上に長く書いてしまったので、手短になることを祈ってケース③、イベント「それぞれの道、結ぶ茜空」にて登場のひまりの星3カード「芸術に触れて」の左エピ、「飾らず迷わず」の実況です。

 

時間軸は当該イベストの後日、ショッピングモールで一緒に買い物をしているモカとひまり、もといひまりの買い物にモカが付き合っていて、ひまりが2つあるバッグのうちどちらを買うか決められないと悩んでいるシーンから始まります。

ちょっと儚いシーンとして、どっちでもいいじゃんというモカにひまりがよくないと反論し、「モカだって、気になる新商品のパンと限定のパンが並んでたら迷うでしょ?」と言うんですが、これに対するモカが、

 

――「んー、あたしなら、きっと両方買っちゃうかな~」

 

と返していて、イベストの中では食パンとメロンパンのどちらにするかをいつにも増して時間をかけて選んで何とか辿り着いていた結論が、ここではすんなりと出てきているんですよね。

『いつも通りのモカ』が示唆されている辺りが儚いです。

 

閑話休題、ここでもーもー言ってても牛になっちゃうからというモカからの休憩の提案に乗って、ひまりが最近見つけたオシャレなカフェがあるからそこでお茶しようと意気込み、そこから場所は変わってオシャレなカフェ……ではなく、当のカフェがお休みの日だったためにいつものファミレスへ。

「もー!」と牛になるひまりに、モカは言います。

 

――「でもさー、あたしら的にはこっちのほうが落ち着くしいいじゃん」

 

ひまりを慰める意味合いがありそうなものの、しかしながらにやっぱり『いつも通り』が大事そうなモカです。

続くやり取りでも、それに頷きつつも「なんでこう、うまくいかないかなー」と零すひまりに、

 

――「そういうところも、ひーちゃんらしいけどね~」

 

と笑顔で言い放ち、「褒めてないでしょ……」と言うひまりには、

 

――「そんなことないよ~。あたし達みーんな、そのひーちゃんらしさに助けられてるし~」

 

なんて、嬉しそうに言います。

Stand by youで「何かあっても、ひーちゃんが大騒ぎするから、逆にあたしは冷静でいられて、ホント助かってます」と言っていたモカが。

それぞれの道、結ぶ茜空で、ひまりの言葉に思わず笑っていたモカが。

あたし『達』なんて括りながら、助けられてるって言うんですよね。笑顔で。

 

結局宿題が終わらなかったことを、モカやみんなの方が大事だからしょうがないと言うひまりには、

 

――「ひーちゃんは、やっぱりひーちゃんだなー。……次にもしそんなことがあったら、手伝ってあげよー」

 

なんて零します。

モカが言うひーちゃんはひーちゃんって言葉、本当に褒め言葉なんですよね……

 

そしてその後、不意に蘭からグループチャットに送られてきた花の画像と、それに付随してどっちがいいと思う?という問いが来た時。

モカは、パンみたいだからと白い花を選び、ひまりはパンっぽいかが大事なんだと呆れつつも、モカがいつも通りで安心したと言うと、

 

――「安心してくれたならよかったよ~。ひーちゃん、今日は心配して誘ってくれたみたいだし」

 

なんて言って、さりげなく誘ったつもりだったというひまりを驚かせます。

……ここまでも散々書いてきましたが、こういうところから窺えるように、やっぱりモカは『モカちゃん』をひまりに見せているんですよね、きっと。悪い意味とかでは決してなく。

 

そして、そうやって「モカちゃんにはお見通しなのだ~」とか笑いながらも、ありがとうの後に「お礼に今日はあたしがひーちゃんの買い物にいくらでも付き合ってあげよ~」とモカが言うと、ひまりは実はまだ見たいものがいっぱいあったんだとテンションを上げて、そうと決まれば早く行こうと急かします。「何から見ようかなー」なんて言って、笑みを零しながら。

それに対しモカは、蘭に返信してからと冷静に返すも、「なんかさっきよりテンション高くない?」とひまりに突っ込みます。

するとひまりは、無邪気に、ともすれば罪深い言葉を放ちます。

 

――「ふふっ、だって今日は、いつも通りのモカと一緒なんだもん。楽しまないと!」

 

……ひまりの知っている『いつも通りのモカ』を思うと、とてつもなく儚いセリフです。薫くんの使う意味での儚いでもあり、フラジャイルな意味での儚いでもあり。

 

そして、それを受けてモカは、これまた罪深い返しをします。

 

――「まったくひーちゃんは、モカちゃんのことが大好きだな~」

 

……機動戦艦ナデシコですか?

絶対最終話まで自分から好きと言わないやつでは……?

いやナデシコの話はさて置きましても、『あたしのことが』じゃなくて『モカちゃんのことが』なの、儚くて罪深い……

 

更にひまりの返事が、

 

――「うん、そうだよ! モカは、私の大事な友達なんだからね!」

 

なのが、また無邪気で罪深い……

この二人、実は考えが食い違っていようとも地味に割とはっきり意見を言い合うような、そんな本当に仲良しな関係なのに、一方でこんな罪深いやり取りしているの、とてもずるいと思います。

モカちゃん』と『ひーちゃん』なんですよね、この二人……

 

以上でケース③の話がおしまいです。

 

余計な話含めてここまで本当に話が長かったですが、個人的用途としては備忘録、それ以外としては一つの暇つぶしになれば幸いです。

 

薬を飲んで、くすりとしましょう

 

心の安寧には、得てして薬が不可欠です。

 

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ところでこの白い粉は、摂取することで多幸感を生み出して、甘い一時をもたらしてくれます。

 

世間一般にはホットケーキミックスと呼ばれるブツですね。とても美味しいです。

牛乳で溶いてレンジでチンするだけで簡単に美味しくいただけるので、容器に紙コップなんかを用いれば洗い物も無くて済みます。あら便利。良い世の中ですね。

 

3月は勤労日の8割が就業時間22時超えしたり連勤が9日続いたりとかなり命の危機を感じたりもしましたが、なんだかんだ生きていたりします。個人的には仕事で逝く分には別に良いかなぁと考えるタイプなのでそれならそれでまあいいかと思いきや、そういう輩に限ってあの世から遠かったりするのは不思議なものですね。

4月からは暇になりそうな雰囲気なので、近い将来きっと有り余る時間と金欠に喘いでいることでしょう。まあ極端。求むちょうど良さ。

 

なんだかんだで大変な世の中ではあるものの、栄養ドリンクなんかの合法的な薬に頼りながら3月の疲れを癒しつつ、くすりと笑えるようなよれよれの幸せを大事にしたいと思う今日この頃です。

 

それでは3月最後の勤労日、ほどほどに張り切って行ってみよー。