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ノベルの書き方を述べる記事

久々にブログを更新します。前の記事の日付をみたらもう一年以上間が空いていますね。

果たしてブログの更新すらできないほどの何かがあったのか、というとそういうことでは全く無く。どちらかと言うと『ブログを更新するほどの事柄が何も無かった』という方が非常に正確でした。非常であり非情です。

とはいえ近頃は老いの影響か熱の維持がすっかり難しくなったこともあって、ブログどころか故ツイッターに投げるような文章すら持ち合わせがなくなってきている感じです。ここで言う熱というのは特定コンテンツに捧げる熱情のことでして、転じて生き甲斐とも言い換えられます。

そんな体たらくなのでもはや割とポジティブな感情としていつ人生終わっても大丈夫になっているのが今日この頃です。痛いのは嫌いなので自ら命を絶つとかは多分無いんですが、少なくともいつか迎える最期の瞬間に未練とか後悔は持ち合わせなくて済みそうだなあなんて思うところでした。

 

というところで表題の件なんですが、自分はもう人生それなりに行き着くところまで行き着いて、果たしたい目的も大体達成したので、そういう立場の人間として人生の局所的な攻略法の伝授みたいなものをこの世の誰かに遺す意味で、あれやこれや気ままに書いてみようかしらという記事の一つになります。必要ない人にはトコトン必要ない話ですが、自分は生きるのが下手側に属する人間なので、主にそういう人向けの遺産のような位置づけですね。ともすれば遺産というと重たく思われそうですが、渡す側の気構えは何とも気軽なものなので気楽に受け取ったり捨てたりしてもらえましたら。

 

さてはて本題となる『小説の書き方』なんですが、一応文章の一次・二次創作したことのある人間として、『自分はどうやって書いているか』の方法論を書いてみます。ここで解説するのは一番入口の部分、『小説形式の作品を書いてみたいけど、どうやって書き始めたらいいの?』です。例えるなら赤ちゃん視点でいう『二足歩行ってどうやるの?』みたいなところですね。

書き方の講座ってそれこそ今時は検索すれば有償無償問わず無数に出てくるものだとは思うんですが、ともすればそれは『話の組み立て方』だったり『描写の仕方』だったりの、歩き方を知っていることが前提のものも含まれてしまうものだったりするので、本当の意味で『書き始めるにはどうすればいいか?』をこの記事では解説していこうと思います。

しかしながらにここまでの文章を読んでもらえばわかる通りに、自分はどちらかというと文章書くのが下手なタイプなので高いレベルに到達できるような解説はできないことだけあらかじめご容赦願うところです。特段文章の仕事してるわけでもない人間の解説なので、あくまで『小説形式の作品作りたい』となった時に、『一歩踏み出せるようになるかも?』くらいの程度に読み捨てていただければ是幸いに存じます。

とはいえども少なくとも自分の使っている方法は『語彙力最低限で良し』『いわゆる文章力というやつも日常生活レベルで良し』なので、ともすれば入口にはちょうどいいかもわかりません。

 

前置きが長くなった分結論から書いてしまうんですが、自分の使っている方法論は至ってシンプルです。

『スタート地点と視点を定めて、あとは実況』と、方法論としてはただこれだけですね。

スタート地点とは物語をどこから書き始めるか、視点とは誰の視点で観測するか、実況とはロールプレイを意味します。

 

具体的な部分を解説していきますとまずスタート地点の話なんですが、まず前提として、何かしら小説形式の作品を書きたいと考える人の大半が『書きたいと思っているストーリーをそもそも有している』であろうことを下敷きにして話を進めていくのですが、じゃあそのストーリーをどこから描写していくか?が決まれば、少なからずその切り口から話を展開していくことが可能です。

というよりも、むしろそこが決まらないことには何一つとして始められないので決める必要がある、と言った方が正確かもしれません。カレー作りたくて材料揃ってるならばどこから調理に取り掛かるかを決めて調理始めないことには素人・達人関係なく一生材料のままです。当然ながら出来栄えには経験や腕前が反映されるところですが、そんなのは当たり前のことなので気にする必要はありません、どうせメインで食べるのは自分自身なので。

さて、じゃあ『どうやってそこを決めるか』なんですが、別にそこも書く人の好みで良いと思います。

例えば走れメロスは、芥川龍之介の作では主人公のメロスが激怒する場面から描写が始まりますが、もしも書く人が異なれば、例えば物語のもう少し手前、メロスがセリヌンティウスの居る街を訪れようとする場面から時系列を追って丁寧に書き始めるかもしれません(走れメロスを舞台脚本とかに直したい場合なんかだと特にそうするでしょう)し、あるいはもっと劇的な場面から始めたい人ならばメロスがひっ捕らえられて王様の眼前にいる場面から書き始めるかもしれません。

とまあそんな調子で、文章でお金を稼ぎたい人ならば入念に吟味すべきところなのでしょうが、少なくとも自分はただ趣味の領域で書いているだけの人間なので、自分の書きたい順番で書く他に選択肢はありません。もちろん手間暇費やして書くからには面白い読み物が出来上がってくれるに越したことはありませんが、ともあれ書きたい場面こそがまずは最優先事項です。カレーは目指しつつもジャガイモの皮剥いたりする工程が楽しいのでそこからやっちゃおう、みたいなそういうノリです。

ちなみに余談ですが、自分が二次創作において小説形式の話書く時によく使う力技として、二人いる登場人物の片方がもう片方の名前を呼ぶ場面から始める、という手があります。

これは『二次創作なので細かくキャラ紹介する必要が大して無いこと』加えて『呼び方がそのキャラ固有であれば誰と誰がその場にいるかをそれだけで明示できること』を踏まえて、諸々の説明描写を一挙に省くという方法です。更に付け加えるならば、セリフから始めることで描写したい場面からスタートしやすい、というのもあります。一番反響のあったモカひまの話は正しくこれらが当てはまりますね。キャラ紹介は特にせず、またひーちゃん呼びはモカ固有で、更には描写したい場面(幼馴染ならではの力技を使うモカ、という新婚のいろはさんのパロディ)を最初に持ってこられた、という。

 

次に視点の話なんですが、これは物語を観測する主体、もっと言うと『言葉を綴る主体は誰か?』というところの話ですね。若干専門用語に片足突っ込むならば一人称か三人称か、という部分です。

一人称視点というのは物語中の登場人物の、特定の誰かの視点から物語が綴られるものを指し、三人称視点というのはナレーションベースで物語が綴られるものを指します。

漫画で言うならば、登場人物の脳内セリフが一人称、設定の開示なんかにおけるナレーションベースが三人称ですね。有名な鬼滅の刃に当てはめるならば炭治郎が脳内で叫ぶ『水の呼吸!』が一人称、技の細かな解説のナレーションベースが三人称、という具合です。

これを決める作業はイコールで『物語を撮影するカメラを誰に持たせるか』を決める工程です。なので一人称で書くとなった時には『じゃあ誰視点で書こう?』というのを決める話にもなるんですが、そこはまあ先述のスタート地点と同じく好みで決めてしまって大丈夫です。

ちなみに余談ですが今回の解説に限らず小説では基本的に視点を定めて書くべし、とされています。これは何故かというと単純な話、小説では漫画みたいに誰が喋って・語っているかを常にはパッと明示できないので、固定した方が書きやすいし読みやすいからですね。特に読みやすさの方には途轍もなく影響するので(極端な話小説じゃなくとも一行ごとに視点が移り変わったりしたら読む方は混乱します)、なるべく簡易に美味しいものを作りたいという場合には可能な限りカメラ役たる語り部は固定するのがおすすめです。

余談ついでにもう一つ、一人称三人称それぞれのメリットデメリットを解説すると、一人称は基本的に主人公の視点から物語が綴られるために書きやすくまた読み手も没入感を得やすい、という辺りがメリットです。特に後者の観点からかライトノベルや児童向け小説には多く採用されています。対してデメリットは、ナレーションベースの解説は使えないので細かな設定を詰め込んで描写するにはあまり向かない、また主人公の理解を越える事柄を描写することが難しい、といった辺りでしょうか。

三人称のメリットは、ナレーションベースで綴るためにそれこそ漫画のように一つの場面における複数人物の思惑や動作を描写できたり設定開示をナレーションで済ませられたりと、視点を登場人物一人に縛られずに描写できるのがメリットです。複数の思惑が交錯する群像劇や、SF物・魔法物なんかの世界観設定の細かい物語を描くのに向きますが、転じてデメリットは『描かなければならない範囲』(描写しないと読み手が例えば「一緒にいるはずのこいつは何してるの?」とかってなるような範囲)が広がってしまう、といった辺りでしょうか。一人称視点ならある種そういう部分も意図的に切り捨てられたりするので。

とまあ一人称と三人称についてうっかり長々と書いてしまいましたが、まあ細かいことは書き始めるにあたってはどうだっていいことなのでこの場では読み捨ててしまって構いません。

あとは一応役立つかもしれない更なる余談として二次創作における三人称のメリットが一つありまして、それは『脳内での口調が分からないキャラも書くことができること』ですね。

例えばデレマスの日野さん鷺沢さんという『喋る時は敬語で尚且つ脳内セリフがほぼ出てこない』類のキャラは、一人称小説で書こうとするとキャラの再現性への疑問で悩まされることになります。敬語よりは砕けた言葉遣いであろうものの、じゃあどこまで砕けているのかの匙加減が全く分からない状態で書かねばならないため、よほどじゃない限り自信を持って書き進められません。が、三人称ならばそもそも書かずに済ませられるのでそんな問題とはおさらばです。というか実際、自分がその二人の話を書く時には常に三人称でした。体験談。

 

閑話休題、最後に実況の部分の解説ですが、これは先述の視点の話において設定したカメラの場所から、物語の時計を進めながら観測した事柄を文章化して述べる作業を指します。

カメラがキャラに付いていればそのキャラクターの一人称視点から場面を実況し、三人称視点であれば第三者視点での実況を行うことで、それがそのまま小説として成り立つという方法論です。

自分の使っている方法において語彙力や文章力が要らないというのはこの辺りに準拠しまして、もし一人称ならばそのキャラクターが持ちうる語彙だけあれば大丈夫ですし、三人称であっても実況に足るだけの語彙や文章力さえあれば事足りる話になります。ついでに小説書く時に悩ましいものとして話題に上がるような地の文差し込むタイミングなんかも、別に実況なんだから必要なタイミング、例えばキャラクターが何かアクションを起こしたところで必要なだけ差し込めばいいだけです。

なので問題となるのはむしろキャラクターの再現性の方で、『書きたいキャラクターの動き方』だけは把握していなければなりません。古のインターネットことわざ『飛影はそんなこと言わない』が如く、うっかり不自然な言動を取らせてしまうとそれだけで物語が全部破綻してしまうために、そこだけはしっかりと造形深くあらねばなりません。

ただしかしながらに、そもそも小説形式の話を書きたいという人であればその辺りはとっくにクリアしているところかもわからないので、ともすればあまり気にするところでもないかもしれません。

 

と、ここまで長々と自分の使っている方法論を解説してきましたが、難しいことをしている訳ではない、というのはきっと分かってもらえたのではないでしょうか。

もし仮にこの方法論を練習するとしたら、三人称視点で声優さんの映像付きラジオ番組を実況形式で文章に書き起こしてみる、とかがおすすめです。あれは一定の構成・台本に基づいているため一から十まで自分で組み立てなばならない競馬実況なんかと違って実況の書き起こしが比較的容易になっているはずなので……

最近だともうすぐ金になるラジオとか特におすすめです、生放送ながらにベテラン作家さんによる何気なくしっかりとした構成の下で仲睦まじく且つキャラ立ちしたパーソナリティ二人が殴り合うような会話を身振り手振りのアクション交じりに繰り広げてくれるので、書き起こしに適しています多分。おそらく諸説ありですが多分。

 

この記事を読んだ人が、ノベルの書き方を身に付けた先に、ゆくゆくノーベル賞を取ってくれたりしたらいいな……というのはただのダジャレなのでそんなことなくても大丈夫です。はい。