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どさくさまぎれの土佐日記

 男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり、とはかの有名な土佐日記の書き出しである。

 現代語訳するならば、『男が書く日記というものを、女(である私)も書いてみよう』といった形で、あまり原文と文章構造も変わらないために大変理解しやすいものとなっている。

 しかしながらに、『日記を書き始める理由』に焦点を置いてこの文章を読むと、急に理解が遠くなる。

『男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり』。

 試しに区切って読んでみよう。

 読点の前の文章。

『(当時、)日記は男が書くものという文化的な文脈が存在する』。

 わかる。

 読点の後の文章。

『女も書いてみる』。

 ……。

 いささか中間端折られ過ぎな気がする。『を』と『女』の間の読点の中に、一体どのような感情が詰め込まれて存在しているのだろうか。謎だ。

 土佐日記を研究、ないしは深堀すればそういった疑問も氷解するのかもしれないが、しかしながらに実際のところ個人的に土佐日記に興味がある訳では特になく、自らがブログを始めて記事を書くという行為に当たって思い出したのが、上に書いた土佐日記の有名な書き出し部分というだけの話なのであった。

 でも本当にどういう理由で始めたんでしょう、土佐日記

 そもそもとして筆者である紀貫之は男性であると歴史の授業で教わったけれど、授業の中における土佐日記についての話は基本そこで打ち止め、終わりとなる。今冷静になって考えてみると、その先の話の方が大事なことのような気がしてならない。

 何故性別を偽った上で日記を始めたのだろうか?そうしないと書けない何かがあったのだろうか?あるいはもっと言うならば、教科書に載っている紀貫之は男性であるという情報は、本当に正しいのであろうか?等々、疑問は尽きない。

 きっと教わった時点で疑問の尽きなかった人間が、その学問の道を突き進むのだろうなあと他人事のように思ったりします。学校の授業って今思うとツッコミどころ満載でしたね。ツッコミどころというか、掘り下げる余地というか。そこに気付いていればもっともっと楽しい場所になっていたのかもしれません。

 とまあ、何故か殊の外土佐日記の話が長くなってしまいましたが、それはさて置いて。

 ブログを始めてみました。この文章に辿りつくまでに結構な回り道をしましたが、始まっています。冷やし中華になぞらえるには季節が肌寒い感じです。

 さて、紀貫之土佐日記を始めた理由はわかりませんが、自分がブログを始めた理由には説明がつくので、ちょうどいい且つ体の良い話題として書いてみようと思います。主に三つばかり。

 理由の一つは、興味があったこと。

 自分がインターネットに親しみ始めた頃、個人サイトがとても盛んでした。

 それこそたまにTwitterで話題に上るような、入場者カウンターとキリ番のシステムがあったり、■をクリックしたらサイト主様の絵や文章が見られたりするような、そういう所謂個人のお城。また場合によっては同盟だったりサーチエンジンなんかもあったりする。

 通ってきた道であるため、単純にどういう感じなのかなーという興味が今もあるのでした。

 そういえばどういうタイミングから失われ始めたんでしょうね、個人サイトの文化。ともすればTwitterなんかの便利で手軽なSNSがあるから現代においてはそれで充分ということなのかもしれません。

 でもおそらくTwitterよりかはブログの方がきっと上述の城の概念には近いのではないかと思います。何となく。

 とりあえず、一つ目の理由はそんな形でした。

 また理由の一つは、お金がないこと。

  お金がありません。正確に言うならば金銭的に余裕がありません。

 より正確に言うならば、一応のところお金はありつつも月々幾らを貯蓄に回すという決め事を最大限徹底しているため、それを差し引いた後の娯楽費がごく僅かである、といった具合でした。

 じゃあ何故お金がないとブログに行き着くのかというと、ひとえにお金が掛からない娯楽であるからでした。

 幸いにも時間に余裕がある方には属するものの、お金がないと結局時間が余るのでした。そしてここだけの話、お金がないことに起因して時間を無下にして過ごしていると、中々に空しい気持ちになります。

 そこで状況打破のために、前々から興味があったブログに手を伸ばすに至ったのでした。文章を書くのは好き(≠得意)なタイプなので、単純に一つの娯楽として捉えても魅力的です。

 二つ目の理由はこんな感じでした。

 理由のもう一つは、Twitterよりもきっと使いやすいと感じたこと。

 Twitterのアカウントを持っているのですが、作成した理由はたしか何がしかのキャンペーンに応募するためだったからで、折角だからとそれを再利用して遊び始めたことがアカウント稼働のきっかけでした。

 それで最初は日野茜ちゃんと鷺沢文香さんのシチュエーションを投げつけて遊んでいました。これは当時ガルパンおばさんとして(良い意味で)恐れられていたひゃくまるさんという方のTwitterの使い方を楽しそうだなーと思って真似した遊びで、実際にやってみて楽しかったのでたしか2年ほど続きました。そうしてネタ切れするまで遊んで、ガルパで同じように遊んだり、最近ではテキトーに考えた冗談だったり日記だったりを投げて遊んでいます。

 そんなこんなでTwitterを使って遊ぶ上で、自分には向いていないと思った点は、TwitterがそもそもとしてSNSツールであるという部分でした。冗談のようで本当の話。

 というのも、人とのコミュニケーションが非常に不得手なので、必然として人付き合いが不得手でした。完全に苦手という訳ではなく場合によっては好きなのですが(場合によっては好きとは一体……)、不得手な自覚がある分抱く抵抗に大きいものがあります。

 しかしSNSというのは、「友達を増やす」「親睦を深める」のが主な目的のツールです。……今まで、友達を増やそう親睦を深めようと思ったことがない……ので、システム上使いづらさを覚える部分も多々あったり、あとは投げようと思って書いたことが140文字に収まらないことも多々あったり……いや、後者は土佐日記の話で800文字使うようなこちらの方に大きな非がありました。失敬。

 ともあれブログの場合少なくともそういったSNS要素をそこまで気にすることなく、且つ中身もわざわざサイトに出向いてでも読みたい人しか基本読まないはずなので、Twitterより居心地が良さそうだなあと思えました。

 日陰、居心地良い。

 長文、投げても大丈夫。

 ……ブログを日陰と称すると偉い人に怒られそうな気がします。

 ともあれ三つ目の理由はそんな様相です。

 と、ここまで三つほど理由を書いてきてみたものの、集約するならば『趣味に合っている』の一言で済んでしまうので、こういう辺りが文章を得意と言えない所以だなあと我ながら頷くところでした。

 というか最初に始めた理由が云々で土佐日記に難癖付けてはいたものの、別に物事を始める理由なんて『始めてみたかったから始めてみた』で何も問題はなく、ともすれば意外とそれが一番長続きしたり上達したりもするので、実は難癖にすらなっていないところもあり。

 なのでここまでつらつらだらだら長々と書いてきた理由だとかは一旦なかったことにして、細かいことは考えず書きたい内容を今後書き散らかしてみたいと思います。

 何せ自分の城である(はずな)ので、散らかっても無問題。

 記事の中盤で書いた内容全てが無意味な文字列になったけれど、しかしながらに意味の無いことをすることにも意味があったりするとかしないとか、そんなことを知らない誰かが言ったとか言わないとか……ともあれ他人の後ろ盾がなくとも娯楽だから楽しければそれで良しくらいの楽な姿勢でやるのが良さそうな気がします。

 

 そんなこんなで、他人もすなるブログといふものを、自分もしてみむとてするなり。

 

 ……前書きで使った要素をオチで回収するとそれっぽく良い感じになるかと思いきや、技量不足で何一つ上手くならなかったです。反省。